1995-03-10 第132回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号
住んでいる方は、やっぱり自分の土地だ、親代々住んでいたんだ、住みなれた町だ、とりあえずもう一遍家を建ててここに住ませてくれということが起きるわけですが、先生、その辺はどういうふうに考えていったらいいでしょうね。現実の問題、役所の方も本当に困っていらっしゃるわけですね。
住んでいる方は、やっぱり自分の土地だ、親代々住んでいたんだ、住みなれた町だ、とりあえずもう一遍家を建ててここに住ませてくれということが起きるわけですが、先生、その辺はどういうふうに考えていったらいいでしょうね。現実の問題、役所の方も本当に困っていらっしゃるわけですね。
問題は、今先生がおっしゃったとおり、やはりこれから次代を担っていく若い方々、いわゆる後継者が将来に対して展望をどうしても持たなくちゃいかぬ、また同時に、自分の親代々受け継いできた葉に対して誇りと希望を持たなくちゃならない、また持たせなければならないというふうに考えております。このために、さきの閣議で決定いたしました「農産物の需要と生産の長期見通し」、これらの指針がございます。
言ってみれば、相続財産ですから親代々住んでいたところをとにかくたまたま相続するということで、いわば不労所得に近いということも言えるわけであって、そういうものにこういう非課税措置をとるというのはどうもちょっと合点がいかないわけですが、その点はどうでございますか。
親代々なさって負債の少ない経営状況の中で規模を拡大してきたような方々、それから三十年代、四十年代に入植なさって比較的負債が少ないといいますか大きな負債が覆いかぶさっていない方々、入植時点が五十年、四十年の後半からオイルショック後入植なさった方々がちょうど返済期間にかかって一番苦しんでいる。これらの方々は、遅い方ほど高学歴といいますか、それなりの意欲を持ってお入りになっている方々です。
○宮澤国務大臣 池田委員のお住まいのあたり、特に東京のそのあたりで土地の上昇が大きくなりまして、今おっしゃいましたように地つきの人が本当に親代々住んでいた、それも大邸宅なら別でございますけれども、百坪ぐらいのところで、本当に相続があったために泣く泣くそれから動かなきゃならぬということはどうも私は問題だという感じがやはりいたしておりまして、そこで、二百平方メートルまでは評価額を三割減らすというようなこともやっております
親代々やっておる。一番手っ取り早い。そこに持っていけば、だめよ、こうなったら一体どうしたらいいのですか。たまたまそこの方々が、いろいろな事情があって本局まで持っていかなければその人はみすみす、簡易郵便局を信頼して持っていって安心しておったら突然免停、こう来てしまう。
具体的に言いますと、親代々企業を営んできた店を長男が相続する。そして、商工会の地域にあって商工会の役員として、また会長として商工会に無償で奉仕をしている。長年、地域社会また業界のために一生懸命貢献してきた。一方、こういう長年の伝統ある店を受け継いできた長男の弟が分家をいたしました。その分家したのが商工会の地域じゃなく、商工会議所の地域であった。そして商工会議所の中で商工会議所の活動をやってきた。
しかし、銭湯のおやじさんとしては、だからといって親代々やってきたふろ屋さんをやめるというわけに簡単にいかないから、そこでおふろ代の値上げというのがずっと続いてきた。つぶれる前に一時期このことが一つの社会問題にもなりまして、現在でも実はそうであります。しかし、そのふろ代の値上げじゃやはり庶民の皆さんも困るから、これにはいろいろ抵抗が起こる。
したがって土地に愛着を持ち、その地区の自治体に対しても親代々理解を持ち、協力をしという形でその地域の歴史をつくっている人たちで、非常に愛情を持っている。もうけなければいかぬけれどもそこを大事にする。ところが、私どもいろいろな経験で見ております限りにおいては、大型店の場合はそこに十分な計算と戦略の上に資本が来る、もしそろばんが合わなければさようならと引き上げていくというだけのことですね。
私は、わが国の高度成長が謳歌される中で、飛行機がその高速性、大量輸送、利便さなど、すぐれた交通機関として登場してきて、急速に交通輸送需要が増大するのに対応するに当たりまして、空港建設の優先性が先走って、親代々土に生まれ、土に生きてきた農民魂や農民の生活感情に対する認識を欠いて、その理解を得る努力を怠って、あたかもブルドーザーで押しつぶすような姿勢で、権力的、高圧的に工事を強行してきた。
つまり長い間そこで親代々生活をしておって、奥さんがお店をやっておるとか、そういうことで自分の生活の足しをつくっておる。こういう方々が解雇をされてくる。あるいはまた造船所のある島などで、たとえば人口五、六万のところで造船所で二千五百人くらいの解雇が行われる。家族を含めて一万人。それで物を買う人口まで入れたらほとんどその地域の経済が麻痺してくる、そういうことが考えられるのじゃないか。
私どもはおふくろの味という言葉が町にあふれておりますが、これは皆様の方のお役所にお勤めの西丸震哉さんの本なんか拝見しましても、あのおふくろの味というのは、つまりおふくろが親代々伝わってきた自分の好みに合わせて偏食化をしていくわけでございますから、それにずっとつき合っていると、おふくろのきらいなものは食わない、それで好きなものは食っていく。
そういうところではもうネコの額ほどの土地といえども、やっぱり農民はこれを生産に親代々やってきたところはなかなか提供しにくいという気持ちもわかっております。そういうことを十分理解した上でございますので、一ぺん道路公団が発表した路線はもう絶対これは動かせないというようなことは私はとるべきではないと。
しかし、これはやっぱり農家が親代々農業というものを経営しているわけでありますから、無条件でそれが宅地にすぐ転用できるというものでもないわけであります。それじゃ土地収用法等強権をもってということになれば、これは私は、できるだけ避けるべきである、やはり話し合いによって協力体制のもとに宅地造成というものが進められていかなければならないという考え方をとりたいわけであります。
ほんとうならば、そっちで商売ができるように逃げ場をつくってあげて、いまやっている、長年親代々やってきた土地だけは自分の土地である、その上の店舗をとってしまえば、場所が場所ですからたいへんな地価評価になりますから、銀行は金を貸すのですから、その一画、一ブロックを全部とってしまう、そのために逃げ場がこっちにできた、そうすると、これは地元の力で再開発ができる。
自分の持っておるたんぼなどを売って、一人の人のごときは三百万近くの私財をなげうって、そうして先祖伝来の、自分の親代々住んできたここの村のきれいな松を守りたい、海水浴場を守りたい、きれいな砂を守りたいと、全くわれわれのような人間から考えましたならば考えられないほどの純粋なこれは運動なのです。
一方は親代々おったとか、あるいはもう十年も二十年も三十年もおったという方と、組夫として臨時に入っておられた方を離職金でも同等にやれ、それは理屈は通らない。そういうことを私は言っているのじゃない。しかし、たとい期間が短かいから、半年であろうが一年であろうが、臨時手当、臨時退職金、臨時離職金というものはあるはずなんだ。それがないというのはおかしい。たとえば個人のうちにたとえても同じだ。
親代々やっているからやれるだけであって、新しく資本を投じて、そして散髪屋をやったら、とてもあんなことではやっていけない。ですから、散髪屋やそば屋が健全に経営していけるようにやっていこうというのなら、そういう点までも一応考えた上で、どうしていくかということを考えられないといけない。
しかし、親代々農地を生活の手段としている農民にとっては、かけがえのないものであります。ボルト、ナットのような工業製品とは違うのです。幾らも同じようなものとかえられるもの、工業製品とは違う。いかに農民が農地に執着をしておるか。また、農業を離れたら、陸に上がった魚同然ですよ。
純農家でずっと親代々そこで米や麦を作っているという田畑に対して、売買価格というものを基準にするということは不合理じゃないですか。